2007年9月20日木曜日

中国で内部告発は危険 告発者は希少な絶滅危惧種に――フィナンシャル・タイムズ

中国で内部告発は危険 告発者は希少な絶滅危惧種に――フィナンシャル・タイムズ
2007年9月19日(水)10:38

* フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年9月14日 翻訳gooニュース) 上海=ジェフ・ダイヤー

タン・ジーション(唐志雄)医師はひどい脅迫を繰り返されて、もう1年近く逃亡生活を続けている。本人いわく「でっちあげの容疑」で逮捕されるのではないかと、怯える日々を過ごしている。シ・ユエフさんは、ワゴン車にぶつけられたのを機に、住む町を引っ越した。そしてチョウ・ファンシ(周歓喜)さんは、3年以上の刑務所生活の末に今、やっとのことで元の生活を取り戻そうとしている。

この人たちは皆、内部告発者だ。内部告発をしたせいで、自分たちの生活はめちゃくちゃになってしまったと口をそろえて言う。タン医師は、同僚医師たちが医療倫理にもとる不必要な移植手術を繰り返していると告発。シさんとチョウさんは、自分たちが勤める製薬会社がまがいものの薬を製造していると告発。3人とも、告発行為の重い代償を払わされていると感じている。

「私の経験は、これは中国ではごくごく一般的なことだ」とタン医師は言う。「食品薬品監督管理局の役人たちは、職務をきちんと遂行しないことが多いし、司法制度は被害者を守ってくれない」

内部告発者がどういう扱いを受けるか。これは、世界各国をゆさぶる中国製品の安全性をめぐる騒ぎの、核心部分に深く関わっている。中国製品の安全性については、例えば今夏、米玩具メーカー「マテル」の中国製おもちゃの塗料に基準値を超える鉛が含まれていたと相次いで発覚。3回にわたる大量リコールが発表され、米国では懸念と反発がピークに達している。

中国政府は、自国製品に対する諸外国の批判は大げさ過ぎる過剰なものだと主張している。しかし当局関係者は、中国国内で販売されている食品や医薬品については、かなりの問題があると認めている。

中国では、食品や医薬品の偽装や粗製乱造がいつまでもなくならない。その一因は、中国社会では内部告発が激しく糾弾されてしまうから。中国の消費者団体はこう指摘する。

「きちんとした消費者保護の仕組みを作るためには、内部告発者は何としてでも保護されなくてはならない」と、消費者運動に携わるワン・ハイさんは言う。

シさんは1990年代、江蘇の製薬会社「江蘇鵬鶏製薬」で働いていたが、1998年に経営管理上の理由だとして解雇された。解雇される前のシさんは地元当局に対し、同社が偽薬を外国に輸出していると情報を提供し始めていた。シさんは2004年、北京の国家食品薬品監督管理局に証拠を提出。当局はこれを受けて捜査に着手し、同社を処罰したと当局ホームページに書かれている。

しかし昨年10月、偽のナンバープレートをつけたワゴン車がシさんをひき逃げ。シさんは脳に重傷を受けた。江蘇鵬鶏製薬は一切の関与を否定し、自分たちの事業は今や全てが合法だと主張する。

シさんを襲った車のひき逃げが偶発的な事故ではなく、意図的なものだったと証明することはできない。それでも、無職となったシさんは別の町に引っ越すことにした。「当局と企業は、血のつながった兄弟みたいなものだから」と言う。

タン医師はかつて、上海同済大学付属東方医院の心臓専門医だった。患者が不必要で危険な心臓手術を受けさせられていると疑うようになったタン医師は、同僚に何度か、そんな手術はしない方がいいと発言。それから間もなく事務職に移動させられた後、やがて解雇されたという。タン医師は、病院で繰り返された不要な手術で患者が死亡したケースもあるとして、解雇後も証拠を集め続け、中国メディアに対し発言し続けた。

しばらくしない内にタン医師は様々な形で脅迫されるようになり、今年1月には、警察当局が自分の逮捕を計画していると気づく。容疑は、患者3人から計 7000元(約10万円)をだまし取ったというもの。「病院にはめられた」とタン医師は言う。一方で、同病院で心臓手術を受けて死亡した患者たちの複数遺族がすでに、病院を提訴。病院のリュウ・ゾンミン(劉中民)院長と担当弁護士は、訴訟についてコメントを拒否している。

チョウさんは、杭州の澳医という製薬工場で働いていたが、妊娠女性の健康増進剤が何の効用もない成分で作られていると暴露して解雇された。同社は当局の調べを受けて、罰金を課せられたが、チョウさんが告発した内容は技術的な問題にすぎず、告発直後に改善されたとしている。一方でチョウさんは2002年、同社を恐喝した罪で有罪となり、3年半の実刑で収監された。ことの次第が広く知られるようになった後、杭州政府はチョウさんに賠償金を払っている。

消費者団体や弁護士たちは、中には私利私欲や個人的な恨みを晴らすために内部告発を行うケースもあると認める。しかし消費者運動家のワン氏は、そういう場合の欲得や恨みというのも多くの場合、強力な組織を相手に戦おうとして生活を破壊された人が必死の思いで行動しているのだと話す。

<背景>

今年に入って中国製品の安全基準について国際的な騒ぎとなったのは主に、中国が諸外国に輸出する製品の安全性についてだった。しかしはるかに大きな問題は、中国国内で売られる食品や医薬品の品質だ。ある政府調査によると、中国では毎年50万人以上が殺虫剤中毒になるという。中国政府はさらに、国家食品薬品監督管理局のジェン・シャオユー(鄭筱萸)元局長が収賄罪と職務怠慢罪で有罪となり、死刑執行されるという事態を受けて、すでに認可されている薬品17 万種類について、認可が適切かどうか再検討している。こうした偽装の製品や危険な製品が中国でこれほどたくさん出回る原因の一端は、企業の内部告発者をきちんと保護する仕組みが整っていないからだという意見もある。

2007年9月11日火曜日

中国人なら病気になってはダメ 医療費現金前払いの国で――フィナンシャル・タイムズ

中国人なら病気になってはダメ 医療費現金前払いの国で――フィナンシャル・タイムズ
2007年8月31日(金)10:23

* フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2008年8月29日初出 翻訳gooニュース) リチャード・マグレガー

数年前に初めて中国の病院に足を踏み入れた時のことは、なかなか忘れられない。上海の冬、まだ明けやらぬ凍てつく寒さの中、妊娠中の妻を産科病棟に急いで連れていった時のことだ。妻がそういう状態だったからというだけではなく、あの朝のことは強烈な印象として残っている。

というのも、すぐには産科病棟に入れてもらえなかったからだ。それよりも先に私はまず、電車の発券カウンターのようなところに並ばせられて、3万元(約 40万円)を払わせられた。そこではクレジットカードが使えたのがせめてもの幸いだった。というのも中国ではほとんどの病院が、現金の前払いを求めてくるのだ。

とても不愉快な経験だったが、ただの不愉快で済んだのだからまだマシだ。多くの中国人にとっては、生死を分ける深刻な問題なのだ。中国の人たちは、たとえ命に関わる深刻な病気でも、たとえ子どもでも、治療費を前払いするまでは医者に診てもらえない。

中国は国家統制経済から市場経済に移行した。その狭間にあって中国の医療システムは巨大な台風の目と化してしまった。急成長を続ける中国経済の影響は中国国内にとどまらず世界各国に波及する。同様に中国の医療システムの問題もやはり、影響は中国にとどまらない。

病気になったら破産してしまう。この恐怖が大きな要因となって、中国人は貯金をする。高い貯蓄率に伴って投資率も増え、さらに最近では経常黒字拡大と共に輸出拡大を助長している。

医療や教育や年金は、かつて国家が提供するものだった。都市部では国営企業が。農村部では人民公社が。どちらもかつては中国国家を支える柱だったが、ここ数年では人民公社は解体され、国有企業は民営企業にとって代わられつつある。そしてその後にできた空白を埋めているのが、利用者負担のシステムだ。

政府の資金援助がないため、中国の病院は(中国には一般開業医の制度はない)どこも、薬漬けの薬局みたいな場所と化した。病院は安定収入の半分を、薬の売上代で得ている。残りの収入は検査代で、だから中国の病院には西側よりも優れた検査機器をそろえたところがある。

中国の医療システムは、医師を含めて誰もができるだけ薬をたくさんを売ったほうが潤うという、そういうインセンティブが随所に組み込まれている。たとえば医師の給料は、どれだけたくさん処方箋を書いたかに連結していて、目標値も設定されている。その結果、裕福な中国には優れた病院があって、貧しい中国はせめて診療所だけでもあれば幸い、ということになる。病院入り口で患者に「金を払え」と迫る病院を責めるのは簡単だが、金を取れるうちに取っておかないと病院が成り立たないのだ。

中国で今年発覚した最大級の汚職事件は、医薬行政トップの関係するものだった。これは、決して偶然ではない。鄭篠萸・前国家食品薬品監督管理局長は、新薬承認をめぐり約649万元(約1億円)相当のわいろを受け取った罪で死刑判決を受けた。刑は7月、執行された。

一番さかんに処方されるのは、抗生物質だ。そして抗生物質の使いすぎは、悲惨な結果を招いている。中国衛生部はこのほど、肺炎にかかる子どもの約7割が、抗生物質の使いすぎで治療薬に耐性ができてしまっているという調査結果を発表。中国で最も市民の収入レベルが高い北京、上海、広州の3都市では、7割が9割に跳ね上がるという。

中国の薬漬け医療の問題は中国内でもよく知られていて、マスコミはそれを逆手にとってゲリラ取材をしている。たとえば今年には、中国人ジャーナリストが患者のふりをして10カ所の病院を訪れ、尿検査で尿の代わりにお茶を提出。病院10カ所のうち6カ所が、尿ではない尿に「潜血」を見つけて、ただちに薬を処方したという。

中国では、政府が何もしないでいるということはあまりない。この医療危機についてもそうだ。農村部では、地方自治体や個人による保険負担と病院の診療費キャップを結びつけた、協同組合的な医療保険制度が開始。大都市では、低所得者のための家計に応じた医療保険が始まり、5月には病院の収入となる薬価差益に上限を設けた。全国レベルでは、20近い省庁が関わる委員会がこの問題を注視している。

胡錦涛(フー・チンタオ)中国国家主席は、国民皆保険の青写真を作るよう政府に命令したというのが、大方の受け止め方だ。そして命令された官僚たちは、いったいコストがいくらぐらいかかるのかと戦々恐々としている。しかしおそらく来年には、全国展開を目指した基本医療保険の試験運用が始まるだろう。

国と言うのは公平な医療制度、あるいは優れた医療制度がなくても繁栄できるし、超大国になることだってできる。現に、アメリカがそのいい例だ。そして中国の様々な問題を一気に解決するための特効薬などない。しかし中国の医療制度改革がどういう形をとるかというのは、胡錦涛体制がどれくらい大胆に、どういう方向に向かっているのかをわかりやすく量る雛形にはなる。

医療制度の問題はさらに、中国にとってもっと大きなテーマと密接に絡み合っている。つまり、何をどこまで市場原理に任せたらいいのかという問題だ(医療業界の拡大は中国衛生部の利益につながる。このため衛生部は、民営化のしすぎに消極的だ)。

課題はほかにもある。誰が医師を監督すべきなのか? (一党独裁国家では、国家権力から独立した職業集団は成立しにくい。中国では最近になってようやく、自己統治力をもつ職業集団が少しずつ発足しつつある) そして、医療改革に中央政府はどのくらいの予算をつぎ込むべきか? (中国財政部は豊かな税収で潤っているが、使い道のはっきりしないまま省政府など地方自治体に予算を回すことを嫌っている)

そして私の場合。妻の入院前に前払いした金額から、実際にかかった医療費を差し引いた差額を、退院する際に返金してもらった。なので、生まれたばかりの子どもを片手に抱いて、そしてもう片手に重たい現金の札束を握って、病院を出て行くことができた。しかしこういう、めでたしめでたしな結末は、そうそう滅多にあることではないのだ。

2007年9月10日月曜日

2007年9月4日火曜日

La Corée du Nord n'a pas été retirée de la liste américaine des Etats soutenant le terrorisme

La Corée du Nord n'a pas été retirée de la liste américaine des Etats soutenant le terrorisme
LEMONDE.FR avec AFP et Reuters | 04.09.07 | 08h33 • Mis à jour le 04.09.07 | 08h46

Contrairement à ce qu'un officiel nord-coréen avait affirmé lundi 3 septembre, la Corée du Nord n'a pas encore été retirée de la liste américaine des Etats soutenant le terrorisme.

Selon l'agence de presse japonaise Kyodo, Christopher Hill, le principal négociateur des Etats-Unis sur le dossier du nucléaire nord-coréen, a affirmé mardi que Pyongyang figurait toujours parmi les pays accusés de soutenir le terrorisme. "Leur retrait de la liste dépendra de la poursuite de la dénucléarisation", a déclaré M. Hill, secrétaire d'Etat adjoint chargé de l'Asie de l'Est et du Pacifique. Des propos confirmés à l'AFP par un officiel américain qui voyageait avec lui à Sydney, à l'occasion du Forum de coopération Asie-Pacifique (APEC).


Ils démentent donc les déclarations, la veille, d'un porte-parole du ministère des affaires étrangères nord-coréen, rapportées par l'agence officielle de la Corée du Nord, KCNA, qui annonçait que le régime communiste allait être ôté de la liste américaine, une revendication fondamentale de Pyongyang qui cherche à redorer son blason sur la scène internationale.

PARMI LES PAYS DE L'"AXE DU MAL" DEPUIS 2002

La Corée du Nord a été inscrite sur cette liste noire par Washington en janvier 1988 après qu'un agent nord-coréen eut avoué avoir participé à l'attentat à la bombe de 1987 contre un avion de ligne sud-coréen, au-dessus de l'océan Indien, qui avait tué les 115 personnes qui se trouvaient à bord. En 2002, le président George W. Bush l'a placée parmi les pays de l'"axe du Mal" accusés de soutenir les réseaux terroristes, avec l'Iran et l'Irak.

Pyongyang, entré en 2006 dans le cercle restreint des puissances nucléaires militaires, a engagé depuis sa dénucléarisation, en vertu d'un accord conclu le 13 février au cours de négociations multilatérales à six (les deux Corées, Etats-Unis, Chine, Japon, Russie). Le régime communiste a ainsi fermé mi-juillet son principal site nucléaire, Yongbyong. En échange de la "désactivation" de son programme nucléaire, la Corée du Nord doit recevoir une importante aide énergétique et normaliser ses relations avec la communauté internationale, notamment avec les Etats-Unis.

 

2007年8月25日土曜日

Après le chaos postcommuniste, la Mongolie goûte un air d'optimisme

Après le chaos postcommuniste, la Mongolie goûte un air d'optimisme
LE MONDE | 23.08.07 | 14h36 • Mis à jour le 23.08.07 | 14h36
NOROVDIN (nord) ENVOYÉ SPÉCIAL

AFP/FREDERIC J. BROWN
Une statue de Gengis Khan, le grand conquérant qui unifia les tribus mongoles.


Le village de Norovdin est planté au coeur de la steppe mongole, non loin de la frontière russe. Le docteur Bayrsuren reçoit dans le jardin attenant à l'hôpital, modeste mais propret. Elle rêve à voix haute. La quarantaine élégante, affublée d'une paire de lunettes très années 1950, elle égrène ses espoirs de médecin du bout du monde : "Bientôt, la ligne à haute tension arrivera jusqu'ici. Bientôt, on pourra utiliser Internet et on se passera du groupe électrogène pour faire marcher les ordinateurs." Mme Bayrsuren exprime comme un air du temps : après la sortie chaotique de l'ère communiste, un léger vent d'optimisme souffle sur la Mongolie.


Norovdin est un village de 2 400 âmes où cohabitent des maisons de bois, des yourtes (tentes traditionnelles) et quelques bâtiments administratifs en ciment. On y vit quasiment encore à l'heure du dénuement soviétique, quand la défunte République populaire de Mongolie était presque devenue un appendice de l'URSS (1924-1990) : pas d'électricité, pas de téléphone, trois médecins - femmes - soignant en priorité les multiples cas de cirrhose du foie causés par l'un des maux les plus ravageurs du pays : l'alcoolisme.

Ici, on boit sec, la vodka et le lait de jument fermenté palliant l'ennui des hivers rigoureux ou la persistance de la pauvreté et du chômage, dix-sept ans après la douloureuse transition du collectivisme à l'économie de marché. Une grande majorité des Mongols rencontrés dans ces villages perdus ou autour des ger - yourtes - des nomades, affichent pourtant, aujourd'hui, une certaine confiance. Sur le plan politique, la Mongolie s'est transformée en nation démocratique. "La démocratie, c'est mieux", assène en une charmante lapalissade le maire adjoint de Norovdin, Shiriz Erdene.

Quarante-six ans, costume gris, casquette blanche, cet ancien médecin formé à Leningrad dans les années 1980 est membre d'un parti d'opposition à l'actuel avatar de l'ex-Parti communiste encore au pouvoir : il montre avec une certaine fierté le stûpa (monument) bouddhiste érigé en mémoire des victimes de la terrible répression qui, dans les années 1930, a coûté la vie à près de 30 000 personnes, opposants au régime et moines bouddhistes. Preuve selon lui que les Mongols sont capables de ne pas faire l'impasse sur les horreurs passées. "Mon grand-père est l'une de ces victimes", dit-il en désignant les inscriptions gravées sur le monument.

Autre raison d'optimisme au coeur de la steppe, en dépit d'une situation économique pour le moins fragile et d'un pourcentage élevé de personnes sous le seuil de pauvreté (31 % de Mongols vivent avec moins d'une cinquantaine d'euros par mois) : si l'exode rural perdure, beaucoup de nomades semblent n'avoir aucunement l'intention de quitter leurs pâturages. Juchée sur son cheval, Otganjargal, une femme d'une trentaine d'années, lunettes noires et del (robe traditionnelle) scintillant, juge la question du départ en ville incongrue : "Bien sûr que je n'ai pas envie de partir ! Je suis éleveur nomade, je resterai dans la steppe !", lâche-t-elle avant de fouetter sa monture et de disparaître vivement dans un nuage de poussière.

Le même jour, sous une pluie d'orage et dans le vent qui couche au loin l'herbe des pâturages, le jeune Erdenbat, 19 ans, rêve de réussites commerciales, de fromages vendus dans la capitale, si la croissance de son cheptel de bovins le permet. Seule la Chine, la voisine menaçante qui a déjà mis la main sur une partie du secteur minier du pays, le met en colère : "Nous mangeons et respirons chinois", raille-t-il.

Plus à l'ouest, voici Oulan-Bator : plus de 1 million d'habitants, soit près d'un tiers de la population, grands espaces à l'architecture soviétique, larges avenues, collines avoisinantes mangées par les taches blanches des yourtes des anciens nomades en quête d'eldorado. Ceux-là ont quitté leurs pâturages. Surtout après les grands froids qui ont provoqué la mort de 8 millions de têtes de bétail durant les terribles hivers de la fin des années 1990 et du début des années 2000.

Dans son bureau du ministère de l'immense place Sukhbataar, du nom du père fondateur du communisme mongol, le secrétaire d'Etat aux affaires étrangères, Khasbazaryn Bekhbat, assure, dans un français parfait, qu'il s'agit, d'ici huit ans, de "quintupler l'actuel revenu par tête de 1 000 dollars l'an avant de doubler ce dernier chiffre à l'échéance de 2021..." "En trois ans, se félicite-t-il, le PNB (produit national brut) a grimpé de 30 %." Mais le combat contre la pauvreté urbaine est loin d'être gagné. Le fossé se creuse entre ceux qui ont largement profité d'un système politique marqué par l'instabilité parlementaire et la corruption et les autres, ceux qui survivent dans les sordides cités de l'ère soviétique où les banlieues de yourtes de la périphérie.

Les hommes politiques proches des centres du pouvoir sont sur la sellette. "L'Assemblée nationale a enfin passé une loi anticorruption qui impose à chaque politicien la transparence dans la déclaration de ses biens", se réjouit Sanjaasurengin Oyun, ancienne vice-présidente du Parlement, député de l'opposition pour le Parti du courage civique. Anglophone, cette femme d'une quarantaine d'années incarne la minuscule élite politique mongole, celle pour laquelle les pratiques politico-mafieuses dont sont accusés les membres du Parti populaire révolutionnaire mongol (PPRM) de l'actuel président Enkhabayar sont intolérables. Même si Mme Oyun met un bémol à ses critiques : "Le PPRM est le plus corrompu de tous les partis parce que c'est celui qui a la plus longue expérience du pouvoir", reconnaît-elle.

Heureusement qu'il y a le héros national, figure emblématique d'une nouvelle Mongolie en mal d'identité, pour mettre tout le monde d'accord : Gengis Khan, le grand conquérant qui unifia les tribus mongoles il y a huit cents ans, avant d'être passé à la trappe de l'oubli par les communistes. Aujourd'hui, l'empereur est de retour, obsédant : on fume des cigarettes à son nom, on boit de la vodka à son effigie, on arrive à l'aéroport Gengis-Khan. Et sa gigantesque statue de métal gris, à l'entrée d'Oulan-Bator, domine la steppe. Au terme d'un incongru retour de l'Histoire pour un pays en mal de reconnaissance internationale, le gouvernement a envoyé 160 soldats à Bagdag, en 2003. Sept cent quarante-cinq ans après le sac de la ville par Hülegü, petit-fils du grand Khan...

Bruno Philip
Article paru dans l'édition du 24.08.07.

 

2007年8月21日火曜日

Bernard Kouchner en Irak en quête d'une solution politique

Bernard Kouchner en Irak en quête d'une solution politique
LE MONDE | 20.08.07 | 10h50 • Mis à jour le 20.08.07 | 14h29
Bagdad, envoyée spéciale

"Je commence à entendre la douce voix de Bagdad...", lâche le commandant. Dans le cockpit du Transall, quatre pilotes militaires français se préparent à un atterrissage acrobatique, dimanche 19 août, dans la capitale irakienne. A bord de l'appareil, le ministre des affaires étrangères et européennes, Bernard Kouchner. "Pour moi, c'est un honneur, commente l'officier de l'armée de l'air, mais c'est aussi très stressant d'amener un politique de ce rang dans un des théâtres les plus hostiles."

Par sécurité, ce voyage est resté confidentiel jusqu'au dernier moment. Il est aussi historique : depuis la visite de Roland Dumas, en 1988, aucun ministre français des affaires étrangères ne s'était rendu en Irak. La "crise des palais", soupçonnés d'abriter des armes de destruction massive, avait donné lieu à une rencontre houleuse, en 1998, à Tikrit, entre le dictateur irakien Saddam Hussein et le secrétaire général du Quai d'Orsay. Depuis, rien d'officiel. Par la suite, l'opposition de la France à l'intervention américaine de 2003 n'a pas facilité les relations franco-irakiennes.

A ceux qui voudraient voir aujourd'hui un lien de cause à effet entre les vacances du président Nicolas Sarkozy aux Etats-Unis et la visite ministérielle à Bagdad, M. Kouchner oppose un démenti catégorique. "C'était ma priorité dès mon arrivée au gouvernement, affirme-t-il. Je le prépare depuis très longtemps. Je mentirais si je disais que l'initiative n'est pas venue de moi."

L'invitation a été transmise à Paris par le président irakien, Jalal Talabani, début 2006. L'amitié qui lie depuis "plus de trente ans" le dirigeant kurde et le "french doctor" a ensuite, sans doute, aidé le souhait irakien à se concrétiser.

L'appareil militaire, systèmes de brouillage allumés, se pose en une spirale abrupte qui soulève l'estomac. "Dire qu'il y a des gars qui passent un an ici…", murmure un pilote, visiblement peu envieux du sort des soldats américains en Irak.

Tout a été planifié, côté français, pour que cette visite ne soit pas interprétée comme un revirement en faveur de la politique de George Bush. Le ministre a pris un avion français et il ne rencontrera aucun officiel américain à Bagdad.

Un séjour à l'ambassade de France s'est en revanche avéré impossible : désormais située dans la "zone rouge", elle est soumise à couvre-feu dès 16 heures et ne dispose plus que d'une heure et demie d'électricité par jour.

"CAUCHEMAR KAFKAÏEN"

Il s'agit bien, en revanche de signifier le retour de la diplomatie française en Irak. L'objectif, défini par M. Kouchner, est de "témoigner de la solidarité, de la compassion et du soutien de la France au peuple irakien dans toutes ses composantes, si la confiance se rétablit", en allant "écouter" des responsables des principales factions, kurdes, chiites et sunnites, du pays.

Sa visite, espère-t-il, "donnera le coup d'envoi d'initiatives similaires de la part d'autres pays européens". Il n'est pas venu avec des propositions fermes, souligne-t-il, mais avec l'intention d'"essayer de comprendre" et de "participer au retour de l'espoir".

Pris en main dès leur arrivée par un dispositif impressionnant d'hommes en armes, français et peshmergas (combattants kurdes) de la garde présidentielle de M. Talabani, le ministre et sa délégation se sont rapidement frottés à la réalité de Bagdad. "Un cauchemar kafkaïen", selon le commentaire effaré d'un diplomate du Quai d'Orsay : un parcours labyrinthique semé de check-points et encadré de hauts murs de béton qui, s'ils ne montrent rien, en disent long sur l'état de dégradation sécuritaire dans la capitale irakienne.

Loin de l'ancien quartier général des Nations unies, fermé après l'attentat suicide qui a fait 22 morts, il y a quatre ans jour pour jour, la première étape a consisté à déposer une couronne de fleurs à la mémoire des "soldats de la paix" devant le petit local coincé dans la "zone verte" (zone ultra-fortifiée protégeant le gouvernement irakien et l'ambassade américaine) qui abrite désormais la représentation de l'ONU.

Le geste se veut symbolique de la position de la France favorable a "un rôle accru des Nations unies en Irak". "Plus l'Irak se tournera vers l'ONU, a ajouté le ministre, plus la France soutiendra l'Irak. Mais la position irakienne reste ambiguë et j'attends des éclaircissements."

Pour nombre d'Irakiens, et pour ses amis kurdes en particulier, Bernard Kouchner reste l'homme qui plaida pour "l'intervention humanitaire". A son homologue irakien, Hochyar Zebary, qui n'a pas manqué de le lui rappeler, M. Kouchner a précisé qu'il approuvait ce concept, mais qu'il n'avait "jamais imaginé qu'il puisse être utilisé [par les Américains] d'une telle façon".

"Les Américains ont commis erreur sur erreur. Il est impossible de refaire l'histoire. Il s'agit maintenant de tourner la page", a-t-il ajouté.

ENTRETIEN AVEC M. MALIKI

Face à la description d'"une situation en Irak terrifiante et inacceptable de barbarie et de souffrances", M. Zebary a plaidé pour une "patience stratégique". Il y a deux ans, le ministre irakien critiquait très sévèrement la politique étrangère française. Aujourd'hui, et malgré le peu de concessions affichées dans ce nouveau discours français, il est manifestement ravi de la visite.

"C'est une grande victoire pour la diplomatie irakienne", confie l'un de ses conseillers, en marge de la rencontre. Dans cet optimisme joue aussi, sans doute, le facteur personnel ainsi que la sympathie déclarée du ministre français pour les Kurdes.

La journée s'est achevée par un entretien avec le premier ministre irakien, Nouri Al-Maliki. "La France peut devenir une amie, même si nos relations ont pris du retard", a estimé M. Maliki, qui s'est déclaré satisfait de la politique de M. Sarkozy vers davantage de coopération.

M. Kouchner a soulevé le problème de la crise du gouvernement après la démission, le 1er août, des ministres sunnites, soulignant que leur réintégration ou celle d'autres personnalités de cette communauté était primordiale pour sauver le processus de réconciliation nationale. Plus généralement, le ministre français a affirmé que, selon lui, la solution en Irak "ne peut être que politique et non militaire".

M. Maliki devait se rendre, lundi, à Damas, pour rencontrer le président syrien Bachar Al-Assad. "Je vous demande de lui transmettre ce message de ma part, lui a dit M. Kouchner. Lorsqu'il s'engagera sur le chemin de la paix au Liban, la France sera prête à beaucoup d'ouverture. Il ne faut pas qu'il empêche la prochaine élection présidentielle libanaise. Il pourra alors se produire beaucoup de changement dans la politique française à son égard."

"Il serait préférable que vous le lui disiez vous-même", lui a répondu M. Maliki.

 

Pour sa rentrée, Nicolas Sarkozy veut rester optimiste

Pour sa rentrée, Nicolas Sarkozy veut rester optimiste
LE MONDE | 20.08.07 | 12h30 • Mis à jour le 20.08.07 | 13h30

Les pontons de Wolfeboro sont déjà loin. Rentré, dimanche 19 août, sur un vol régulier d'Air France Boston-Paris de ses luxueuses vacances américaines payées par deux familles amies (les Agostinelli et les Cromback), Nicolas Sarkozy s'est rendu directement à l'Elysée pour préparer les trois réunions qui devaient s'y tenir lundi 20 août, en présence du premier ministre.

Sans attendre le conseil des ministres de vendredi, qui marquera le cap symbolique des "cent jours", le chef de l'Etat entend montrer que le centre névralgique du pouvoir est et reste l'Elysée. "Attendez-vous à ce que cela reparte très fort à la rentrée", avait lancé le président de la République à ses ministres avant de les quitter pour les vacances.

La première de ces réunions ministérielles a été consacrée, à partir de 10 heures, au pouvoir d'achat, à la croissance et à la situation économique et financière. La suivante devait porter sur l'immigration, et notamment la réforme du regroupement familial préparée par Brice Hortefeux, ministre de l'immigration de l'intégration, de l'identité nationale et du codéveloppement. Elle sera en discussion à l'ouverture de la session extraordinaire du Parlement à partir du 18 septembre.

La dernière de ces réunions, à laquelle participeront Rachida Dati (justice), Michèle Alliot-Marie (intérieur) et Roselyne Bachelot (santé), sera consacrée aux "mesures de sûreté contre les criminels dangereux", à la suite de l'enlèvement par un délinquant sexuel récidiviste d'un enfant de 5ans à Roubaix.

CONJONCTURE ASSOMBRIE

Mais c'est surtout la situation économique et financière qui préoccupe le chef de l'Etat, décrit comme "attentif et serein" par l'un de ses conseillers. Durant sa "retraite" américaine, il a suivi les soubresauts de la crise boursière.

Plus inquiétant pour l'Elysée : la conjoncture s'est assombrie en quelques semaines. Outre le déficit du commerce extérieur (15 milliards d'euros de janvier à juin), le recul de la production industrielle, la stagnation des créations d'emplois, la plus mauvaise nouvelle est venue de la croissance : seulement 0,3 % de hausse au deuxième trimestre. Un résultat décevant qui met à mal l'objectif du gouvernement de 2,25 % de croissance pour 2007 et 2,5 % pour 2008.

Priée d'abréger ses vacances par M. Sarkozy, Christine Lagarde, la ministre de l'économie, des finances et de l'emploi s'est attelée à conjurer tout accès de pessimisme. Ce mauvais résultat du deuxième trimestre ? "Une conséquence de l'attentisme électoral", a-t-elle affirmé sur RTL tout en maintenant ses objectifs.

Il n'empêche : le financement du "paquet fiscal" grâce auquel l'Elysée comptait provoquer un "choc de confiance" pour gagner "un point de croissance" s'annonce ardu. En retoquant la rétroactivité des avantages fiscaux sur les emprunts immobiliers, le Conseil constitutionnel a privé M. Sarkozy d'une des mesures les plus attendues de sa réforme. Le gouvernement table sur l'exonération fiscale des heures supplémentaires pour doper l'activité.

L'opposition n'a pas été longue à voir le profit qu'elle pouvait tirer de cette situation en soulignant "les promesses inconsidérées" de M. Sarkozy. Dans un entretien au Journal du dimanche du 19 août, le premier secrétaire du Parti socialiste, François Hollande, estime que "la politique du président de la République est dans le droit fil de celle de Jacques Chirac. Il vit à crédit sur le dos de l'Etat. Après l'état de grâce, il y aura la facture".

"VERTIGE DU POUVOIR"

Ancien ministre socialiste des finances et proche de Ségolène Royal, le député de l'Indre, Michel Sapin, pronostique dans Le Parisien du 20 août, la fin de "l'état de grâce" pour M. Sarkozy : "Tout lui est permis. Il éprouve une sorte de vertige du pouvoir. Il manie la parole, souvent avec habileté. Mais tout ceci aura une fin, car il y a un moment où les mots ne suffisent plus et où les réalités reprennent le dessus. (…) Les cadeaux fiscaux provoqueront un retour de bâton (…). Tout ce qui est donné à quelques-uns aujourd'hui devra être payé par tous demain."

Anticipant une rentrée "chaude", sur fond de mise en place du service minimum, de la franchise médicale, et de suppression de 10 000 postes dans l'éducation nationale, le Parti communiste appelle, de son côté, à un rassemblement à l'automne contre "la politique réactionnaire de M. Sarkozy".

Pour autant, M. Sarkozy reste optimiste. La vigueur des attaques devrait lui permettre de souder son camp et de "faire de la politique". En cent jours passés à l'Elysée, il a fait la preuve de son habileté manœuvrière et sa popularité ne s'est pas encore démentie. En juillet, celle-ci s'établissait à plus de 60 % de "bonnes opinions". Les Français semblent apprécier son omniprésence, même s'il doit s'exposer toujours plus.

Malgré ce risque, le chef de l'Etat n'entend pas se montrer plus discret pour autant. Omniprésent avant et pendant ses vacances, il le sera aussi après. Mercredi 22, le chef de l'Etat se rendra aux obsèques du patron pêcheur du Sokalique tué lors du naufrage de son bateau heurté par un cargo; vendredi 24, il sera en province pour une visite de terrain. "Il décide de tout, il est donc responsable de tout", assure le premier secrétaire du PS, qui convient toutefois : "Les Français n'ont nulle intention, au bout de cent jours, de dresser un réquisitoire contre la politiquede M. Sarkozy. Ils ont raison."